全国各地の方々が、奥羽教区の被災地の教会を覚えてくださることは、本当に感謝です。ただ、ここでちょっと考えてください。まことに失礼ながらこのようなことを書くことになりました。
被災地の教会を励まし、牧師や信徒が疲れているだろうからと言った理由なのでしょう。なぜか、礼拝説教をしますという申し出が続いています。このようなものは小職に連絡はありません。直接被災教会に、牧師にされます。しかし、礼拝説教を牧師ができないのではありません。むしろ被災当初ならできないこともあったでしょう。すでに日常を取り戻すために、礼拝を奉げることが続けられています。そこでは主任担任教師が今必要な御言を聞き、取り次ぐと言う業が続けられているのです。
主任担任教師が説教する、このことはますます教会としての日常を確かにすることです。しかし、説教の申し出に対して被災教会はなかなか断ることができないのです。多くの申し出が続くと、毎週の礼拝は、所謂 特別な事柄となってしまいます。顔見知りでもなく、また顔見知りでもずっと交わりのなかった方がお出でになられると、教会員はどうしても構えてしまいます。 これは逆に疲れを覚えることになります。
奥羽教区内の牧師でも、要請に応えるかたちで教区を通して調整しながら説教に出かけているのです。
どうか、こちらからの要請に応えてほしいのです。もう一度書きますが、説教の申し出があると、被災教会は断ることができないのです。
今こそ被災教会を支えるためにそれぞれの地で祈ってほしいのです。
なんとも失礼な言い方ですが、説教の申し出は差し控えてくださいませんか。
奥羽教区総会議長
邑原宗男
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